梅雨が明けた途端、いきなりの猛暑ですね。まあ毎年のことではありますが。私が子供の頃は天気予報で予想最高気温35℃なんて滅多になかったですが、今時は40℃なんてこともありますからね。パリでは市民がセーヌ川に飛び込んで暑さを凌いでるって話なんですが、なんでまた街中の川で水浴びを?と思ったら、パリって景観維持の関係とかで一般市民が家にエアコンを設置するのに強い制限がかかってるんですって。この暑さで家にエアコンがなきゃ目の前の川に飛び込むって選択肢にならざるを得ないかもしれないですね。
そんな夏の暑さがやってくる少し前。梅雨のある日、当院に大事件が起こりました。
雨雨雨と続いたある日、殊の外強い雨が降っていた朝のこと。開院の準備をしていたところ、スタッフの悲鳴がクリニックに響き渡りました。「どしたどしたー?」と見に行きましたら。
なんと。
待合の天井からぴちゃりぴちゃりと雫が垂れてくるではありませんか!
おお!これは雨漏り…
と認識はしたものの、あまりのことにそれ以上の思考回路が働かず、ボーゼンとしてしまいました。オーストリアの哲学者・フッサールさんは、物事を判断する場合はいったん立ち止まって「なぜ自分はそう考えるのかを吟味せよ」と言いまして、これを「エポケー(判断停止)」というんですが、私の場合は文字通り判断が停止してしまいました。
が。
私がエポケーしてる間にも、スタッフは雑巾で水浸しの床を拭き取り、そんなもんどこにあったの?と思うような大きなタライを置き、「雨漏り危険」の立て札を作り…と次々と行動し、「センセー業者に電話して!」と指示してくれました。で、ようやくエポケーから解放されることとなった訳です。
キリスト教で、「神」と「イエス・キリスト」と「聖霊」は「神」の表現形の違いであって同じものなのだという考え方があって、これを「三位一体」というのですが、テキパキと動く彼女たちはクリニック守護の聖霊のようにも見えましたな。
業者は飛んできてくれたものの、大雨の中では修理もできず、晴れた日にまた修理しましょと言うことになりました。後で建築関係のお仕事をしている知り合いにこの話をしたところ、雨漏りの修理って、今まさに雨漏りしている雨の日は作業ができないし、作業ができる晴れた日には雨漏りの場所が分からないという二律背反に陥るんだそうで、なかなか手強いそうです。「雨風を凌ぐのが建物の基本なんだけど、それが1番難しいんだよなー」と渋〜い顔をしてました。そんなもんなんですね。
幸いその後雨漏りは起こってませんから無事修理できたようで、よかったです。
それにしても。
頭が真っ白になっちゃいましたね。イギリスの哲学者ジョン・ロックさんは、人は白紙の状態で生まれてきて、そこに物を書き込むように成長していくのだと言い、この白紙の状態のことを「タブラ・ラサ」と呼んだんですが、正にタブラ・ラサに戻った感じでした。
外科医として相当修羅場を潜り抜けてきたつもりなんですが、まだまだ修行が足りんですな。
♪ 雨漏りに 頭白紙の タブラ・ラサ 皆に言われて 業者に電話

バケツはともかくこんな大きなたらいはどこから出て来たんでしょ。

大雨の中応急修理をしてくれましたm(_ _)m






