今年の梅雨入りは早かったですね。
以前「梅雨」の語源を調べてみたことがあるんですが、これを「ばいう」と読む分には梅の実が実るころだからいう説明があり、それはまあ理解できるものの、これをわざわざ「つゆ」と読むとなると、「へえ」と心を打つ説明にはたどり着けませんでした。旧暦では暦が一ヶ月半ほど遅いので梅雨時は五月にあたり、このため古くは「五月雨(さみだれ)」と呼ばれていたそうですよ。「五月雨式」と言う言葉はぐずぐずと続く締まりのない状態を指す言葉ですが、確かに梅雨の雨ってそんな感じですよね。今年はまさに五月雨ですね。
そんな五月雨の中を毎朝出勤するわけですが、最近右足先がずいぶんと冷えるなぁと感じていたんです。まだ五月ですから気温もそれほど高くはなく、冷え性の私としては当然と言えば当然なのであまり気に留めていなかったのですが、それにしてもいつもいつも右足だけ?と不思議に思い観察してみますと、右足の靴下の先がずぶ濡れになっていました。おおお?と思って靴を観察してみますと、愛用の靴の底に穴が開いてしまっていました。ありゃりゃ~と思いつつ、ちょっと靴について考えました。
万葉集に
♪信濃路は 今の墾道(はりみち) 刈株(かりがね)に 足踏ましなむ 沓(くつ)履け我が背
と言う和歌があります。「信濃の道はできたばっかりだから、切り株で足を痛めちゃうかなって心配なの。だから靴を履いてってね、マイダーリン♡」と言った感じですね。「マイダーリン♡」の所がとってもかわいくてすごく好きな歌です。
マイダーリンさんは防人かなにかで徴用されているわけなので、このカップルは「庶民」だったと思われます。大化の改新の中心人物である中臣鎌足さんと中大兄皇子さんは、蹴鞠(けまり)の会で皇子が飛ばした靴を鎌足さんが拾ってあげたことをきっかけに知り合ったという逸話がありますから、この時代にも靴(沓)は当然あったんでしょうけれども、庶民にとっては普段は使わない高級品だったんでしょうね。靴を履くのが当然だったら、わざわざ「靴を履いてってね♡」なんて言わないでしょうからね。今の世で、ここ一番の会議に臨む彼氏に、彼女が「靴を履いてってね♡」って励ましたらちょっと変ですもんねぇ。
ひょっとすると、大好きな彼氏のために彼女がへそくりはたいて手に入れたのかもしれませんね。旅立ちの日のサプライズのプレゼントで、メッセージカードにこの歌が書いてあったとか。彼氏は彼氏でこのメッセージカードを大事に都までもっていったんでしょうね。その場だけの「ありがと」で終わっていたのなら都で暮らす万葉集の編者が知る由もないですから。つまり、2人の愛があればこそこの和歌を現代の我々が知ることができる訳であって、愛とはやはり崇高なものですね。
さて、私はと言うと、靴をプレゼントしてくれる女性もいませんから、普通に新しい靴を購入しただけです。と言う訳で短歌もいまいちですね(^^;
♪五月雨の 優し天地を 潤せば 足ぞ冷たき 嗚呼靴に穴
(大伴ヤキモチ)