先日、眼鏡が壊れてしまいました。
私は昭和な人間ですから、夜間の就寝は畳&布団でないと落ち着かなくて、21世紀も既に1/4が過ぎようとしている今となっても、畳のお部屋に布団を敷いて寝ています。貧乏育ちのためか、ベッドと言うものは王侯貴族が使うものだと言うイメージがついちゃってるんですよね。
枕元には、夜睡眠薬代わりに読む教科書(注1)と、朝目覚まし代わりに読む読書用の本が2冊並べて置いてあるのがデフォルトの状態で、その近くに眼鏡を置いて眠りにつくのですが、その日の朝、いつもの様に布団の中から手を出して眼鏡を取って掛けてみましたらなんだか見え方が変なんですよね。「あれ?」と思って見てみますと、眼鏡の左目側にレンズが嵌っておらず、レンズは畳に転がってました。
落としたわけでもないのにどうしてこんなことになっちゃったのかはよくわかりませんが、ともかくも左目のレンズがありません。私はド近眼で眼鏡がなければ何も見えないものですから、焦って嵌めてみたんですがどうにもなりません。仕方ないので右目だけになった眼鏡をかけつつ棚をひっくり返し激闘約20分、ようやく予備の古い眼鏡を探し当て事なきを得ました。
古来日本では鍼灸師と琵琶法師は目の不自由な人しか就いてはいけない職業とてされていました。平安時代、琵琶の名手であった人康(さねやす)親王が目が不自由であったことに由来する制度なんだそうです。極めて不完全な形ではあるものの、平安時代から障害者福祉と言う概念を持っていた日本という国のお国柄は素晴らしいと思いますね。そこまでではないとしても、近眼の人間にとって眼鏡がないというのは危機的な状況です。眼鏡がある時代だからこそ良い様なものの、眼鏡のない時代であれば生活に困ってしまいますよね。
眼鏡が作り出されたのは13世紀のイタリアなんですって。確かに、今でもイタリアといえばベネチアングラスと言うガラス工芸がありますもんね。日本に眼鏡を伝えたのはカッパ頭で(注2)有名なフランシスコ・ザビエルさんなんだそうです。でも、その頃のメガネには耳にかけるツルがなくて必要に応じて鼻の上に乗せて使っていたらしく、18世紀のイギリスでツルをつけて耳に掛けられる形の眼鏡が発明され、ようやく今の形の眼鏡になったようです。
とすれば、ド近眼の私が不自由なく過ごせるのは人類の叡智と地球規模の交易があったからであって、メガネ1つにも壮大なロマンを感じますね。
予備のメガネがないと困ってしまいますから、その週末に新しいメガネを買おうとメガネ屋さんに行ったところ、「直せますよ」ってことで、あっという間に無料で直してくれました。人の世は、至る所に技術があって複雑に絡み合い助け合いながらできてるんですね。やはりロマンを感じますな。
眼鏡が壊れて見えた新しい発見でした。
♪ 心なし 異なり見ゆる 古眼鏡 通し見る世に 新たをぞ知る
(大伴ヤキモチ)
注1)教科書と言うヤツは実に心地よく眠りを誘ってくれますな(^^;
注2)カッパ頭はカトリックのお坊さんの髪型で、丸く残った髪がキリストが磔にされた際に被せられていた荊(いばら)の冠を象徴するんだそうですよ。