今年2023年は私が医師になってちょうど30年目の年です。
吉田松陰さんの生涯が約29年、高杉晋作さんの生涯が約28年ですから、30年と言う年月で人が何をなせるかと言う偉大な前例を鑑み、我が身の30年間に凡人の悲しさを痛感してしまいます。
私もかつては青雲の志を持って飛躍を夢見た少年であったわけですが、生涯に渡って木曽三川の流域から出ることのないままに過ごしてしまいました。詩人・中原中也さんはその人生を「思えば遠くに来たもんだ」と歌いましたが、私的には「意外と近くに居たもんだ」という感じです。そういえば中也さんの生涯もまた約30年ですね。
さて、ここでクイズです。
先に述べた吉田松陰さん、高杉晋作さん、中原中也さん、そしてこれから話題に載せます伊藤博文さん…これらの方々に共通することは何でしょうか?
そうです。その共通点は今の山口県、江戸時代的に言えば長州藩のご出身と言う点です。長州には豊後水道・日本海・瀬戸内海の3つの海をつなぐ海港・下関があり、フグの名産地として有名です。
今となっては下関と言えばフグですが、江戸時代、長州藩ではでは食べるのを禁じられていた禁断の食材だったそうです。フグの毒に当たって死んだら家禄没収・家名断絶と言う極めて厳しい処断だったとのこと。人一人亡くなってるのにお悔やみどころか処罰ってどないやねんと感じちゃいますが、でも考えてみると、武士とは主君と御恩と奉公で結びついた関係であって、主君のために死するのが本来の務め。美食への欲求に負けて食い意地で自爆したとなれば職務放棄もいいところで、奉公がないなら御恩もあるめぇというのは主君側からの論理としては筋の通った話ではありますね。
そんなフグ食が解禁されたのはと言うと、これまた長州人である伊藤博文さんが下関に滞在中、嵐で魚が取れず困った料亭の女将がフグを調理して提供、その美味に感動した博文さんが許可を出したというお話があるんです。博文さんと言えば初代内閣総理大臣と言う大物中の大物ですから、この話が本当ならフグ毒による暗殺未遂事件とも取れるわけですが、この方は幕末、第一次長州征伐で長州藩が佐幕派に牛耳られた時、高杉晋作さんとともにわずか80余名で武装蜂起(注1)し、長州藩全体を佐幕方針から倒幕へひっくり返したという猛者だけあって、懐が大いんだか馬鹿なんだかよく分かんなくなっちゃいますね。
でもまあとにかく、そんなこんなで今の世で冬の味覚フグを堪能できるわけですな。
若かりし頃、フグ料亭の女将さんの治療を担当したことがあって、その女将さんに「うちの店に食べに来て~」と言われたんですが、駆け出しの勤務医に手が届くようなシロモノではなく、ついに食べに行けなかったことを返す返すも申し訳なく思っています。
毎年風が冷たくなると思い出す冬の思い出です。
♪白き身を 熱く煮立てて 河豚(ふぐ)の福 腹の膨れて 懐寒し
(大友ヤキモチ)
注1)「功山寺挙兵」と言います。80人で一県全体を武装制圧しようなんでフツー思いません。