だんだん朝晩が過ごしやすくなり、秋の気配が高まってきましたね。クリニックの周りでも虫の音が秋の訪れを感じさせます。
先日、去りゆく夏を惜しんで岐阜県の板取川にアユを食べに行ってしました。
懐石料理(注1)などの和食のコースでは必ず刺身(お造り)が出てきますよね。私はこれが腑に落ちません。だって、お刺身が美味しいのって魚という食材の力でしょ。つまり、刺身が美味であることは弱肉強食の厳しい世界で自らを成長させた魚自身と、それを捕まえた漁師さんの功績であって、料理人はそれを切っただけ。商売とは原材料に付加価値をつけて売ることなんですから、本質的に食材として優れたものを切って提供するだけと言う手間のなさに没知性を感じちゃいます(注2)。切り方一つで味が変わるんだと言う主張もあるでしょうけれど、それならアンタの包丁さばきで不味い魚を美味しくしてみろ!と言いたいですな。
まあそれはともかく、温泉旅館などでも必ず出てくるこのお造り、山間の温泉でもたいていマグロなんですよね。山の幸懐石なのにどう言うこっちゃと昔から疑問に思ってたんですが、数年前に吉野の旅館でお造りとして鯉の洗いが出てきたことがあり、それでようやく分かりました。お魚がばかりは海の幸の方に若干のアドバンテージがある感じ。
しかし。
美味な食材として存在感を示す川魚もありまして、その1つがアユです。
万葉集にこんな和歌があります。
♪桜田へ 鶴(たず)鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(ひ)にけらし 鶴鳴き渡る
(高市黒人)
これは尾張の海で歌った和歌とされていて、「桜田」は今で言うところの桜山付近だと言われています。
この「年魚市(あゆち)」が愛知(あいち)の語源と言われてるんです。木曽三川が海に注ぐ干潟で落ちアユがたくさん採れたんでしょうかね。因みに今池から桜山へ抜ける幹線道路は阿由知(あゆち)通と呼ばれます。阿由知通は私が学生時代に住んでいた所なんですが、そう言われてみれば「あゆち」の名にふさわしく落ちアユのごとき怠惰な生活を送ってましたな。
今年の夏は雨が多かったですが、通年雨男の私が向かった時は当然大雨で、清流・板取川は濁流・板取川となっていました。この濁流でも食べられる鮎と言うことは…と感じましたが、まあ、そこは考えないことにしました。
アユの塩焼きって上手にやると骨がつるんと抜けて骸骨だけになるんですよ。私は毎回トライしてますが、今年は3匹とも綺麗に骨が抜けました。
万葉集ではアユは「年魚」でしたが、一般的に「鮎」ですよね。これはアユを占いに使ったことから当てた字だそうですよ。
何かいいことありそうな(^^)
♪焼き鮎の 小麦の肌に 塩化粧 我魅せらるる 骨ぞ抜かれて
(大伴ヤチモチ)
注1)懐石料理は本来お茶席の前に軽く食べる食事で、和食のフルコースである会席料理とは少し違うんだそうですが、現在は混同して用いられていますので、本稿では「懐石」で統一します。
注2)もちろん包丁さばきの粋を尽くした素晴らしいお造りもありますけどね。