先日…新型コロナの第6波感染拡大の少し前、生まれ故郷の桑名に行ってきました。
年末に古い友人から突然連絡が来て、「コロナも今んとこエエみたいやし、ちょっと飲みにかへん(注1)?」ってことで、確かに今がチャンスと思い行ってきました。「名古屋まで行ってもエエで」と言ってくれたんですが、久しぶりに桑名もいいかなぁと思い、桑名で飲むことにしました。
私が故郷である桑名を離れてから、早いものでもう35年が経ってしまいました。私は、桑名市が昭和12年に市制となった時どころか、それを遥かに遡って明治22年に桑名町になった時から桑名であった地域の出身で、ウルトラスーパーネイティブ桑名人なのですが、高校に入った時に一家で員弁(注2)に引っ越ししてしまいました。大学進学後は名古屋に出てしまいましたので現在は桑名には基盤がなく、さりとて高校3年間だけ住んだ員弁を故郷と認識することもできず、現在は帰化名古屋人を名乗っています。もちろん、実家…と言うか現在母と姉夫婦・妹夫婦が住んでいる員弁に行くことはあるのですが、桑名は素通りしてばかりで、桑名駅近辺で活動するのは本当に35年ぶりではないかと思うほどのご無沙汰でした。
電車で桑名駅に向かった訳ですが、桑名駅につきましたら完全に浦島太郎状態になってしまいました。だって桑名駅はホームの名古屋側の端に階段があるはずなんですが、ホームの中ごろに広い階段があるではないですか!「ええええ?」と降りる駅を間違えたのかと思いましたが、何度駅名表示板を見ても「桑名」となっています。とりあえずその階段を登ってみますと、見慣れない改札があり、見慣れないコンコースと見慣れないゲートを抜けたら、やはり見慣れない駅前に出ました。
ひょっとしてここは銀河ステーション?と思いカンパネルラ〜と叫びそうになりましたが(注3)、少し向こうに閉鎖された階段とペデストリアンデッキを発見、そここそが見慣れたいつもの桑名駅でした。私が狭い自分の世界から外の世界へ旅立つ時に必ず通ったどこでもドアで、なんだか帰るべき場所の扉が閉じられたような感じがしまして、心細いような物寂しいような感じがしました。
さて、友人とはもう何年ぶりだかわからないほど久しぶりでしたが、全く違和感なくオレオマエで文字通り痛飲しました。夕方5時から飲み始めると相当長く飲んでもまだまだ宵の口って感じでしたが、時間ですヨとお店のお姉さんに追い出されてしまいました。しかし、中高を共に過ごした友人に、既に大学を卒業しようと言うお子さんの心配を聞かされるとは。まさかこんな日が訪れようとは思いもしませんでした。
人生とは不思議なもんですな。
♪ 閉じられし 駅に問わまし 我が歩み 若き日の夢 散るや散らずや
(大伴ヤキモチ)
注1)三重県桑名市は関西言語圏の東端かと。
注2)「いなべ」と読みます。鈴鹿山脈山麓の農村地域です。
注3)宮沢賢治「銀河鉄道の夜」のオマージュです。