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黒き潮(うしお)は

黒き潮(うしお)は

2019年5月8日

大型連休もついに終わりましたね。平成から令和への移り変わりをどのように過ごされたでしょうか?   

 

私はこの連休中、ひょんなことから高知県に行く機会があり、平成から令和の移り変わりを高知で迎えました。と言ってもまあビジネスホテルで寝てただけですけど。

私は学生時代から筋金入りの雨男で(注1)、今回も大雨でした。聞けば、令和の始まりは日本中雨だったとか。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

さて、高知県は昔の言い方だと土佐国となります。

高知の人たちは坂本龍馬が大好きのようで、どこへ行っても龍馬龍馬と賑やかでした。その龍馬さんの銅像が桂浜に立っているのは有名ですが、実は土佐での活躍はほとんどなくて、活動拠点は主に長崎なんですよね。そのほかにも中岡慎太郎さん、武市瑞山さん、岩崎弥太郎さん、中浜万次郎さんと、龍馬さんと同時代の幕末に活躍された方々の銅像も県内のあちこちにどどーんと立ってるんですが、活躍の場が土佐ではない方がほとんどで、なんだか不思議な感じがしました。

 

土佐の高知といえば、その街を作ったのは愛知県の方なんですよ。岩倉出身の山内一豊さんと賢妻として名高い千代さんです。千代さんは岐阜県郡上の方だと言われていますね。

一豊さんの時代の少し前に、土佐に近世を呼び込んだのは土佐の出来人と呼ばれた戦国大名・長曾我部元親さんです。元親さんの銅像もあるんですが、観衆は私1人だけで、ひっそりと雨に打たれていました。子の盛親さんの代で関ヶ原の合戦に敗れて取り潰されてしまい、代わりにやってきたのが一豊さんということになります。

この方たちがいなければ、今の高知は今の高知ではなかったであろうという方たちなんですが、今となっては高知の発展に直接的には寄与していない痛快男子1人に敗北です。人の人気ってのは面白いもんですね。

元親さんとしては

人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の香に 匂ひける (紀貫之)

って感じでしょうね。いや、黒潮の洗う南海道土佐なら「潮ぞ昔の香に匂ひける」でしょうか。

 

最終日、飛行機までの時間合わせに少しドライブしていたところ、小さな漁港に行き着きました。「奈半利」と言うんです。なんとなく心に引っかかるところがあって後から調べてみたところ、あーやっぱり、土佐日記に出てきた「奈半の泊」のことでした。土佐日記は「男もすなる日記といふものを女もしてみんとてするなり」の冒頭で有名な、先に紹介した紀貫之さんの紀行文です。

奈半利では

♪思ひやる 心は海を 渡れども ふみしなければ 知らずやあるらん

って歌ったんですって。「知らず」は濁音の表記のないその当時の仮名遣いでは「しらす」で、シラス干の「シラス」の掛詞でしょうから、シラスがたくさん干してあったんでしょうかね。京都のお公家さんのお口に合ったかどうか

 

私はシラス干も大好きですが、せっかくの土佐ですから鰹のタタキを堪能させていただきました。いや、実に美味しかったです。塩タタキが最高でしたね。

これが黒潮の味かぁ〜って感じがしました(^^)

 

南海の 黒き潮(うしお)は 滔々(とうとう)と 流れ行くなり 空の果てまで

(大伴ヤキモチ)

 

(注12014.4.4付 「一年(ひととせ)を経て」もご参照下さい

 

長曾我部元親さんです。ひとり雨にうたれていました。

平成最後の日は現存12天守の一つ高知城で過ごしました。大雨でした。

はりまや橋の「愛禅」さんにて。藁焼きで作るそうです。(許可を得て掲載しています)

タレも良いですが塩たたきが最高でした。

桂浜。黒潮から打ち寄せる波が力強く感じました。

 

 

 

 

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