先日、名古屋大学脳神経外科医局に所属する先生の教授就任及び勇退記念パーティーがあり、参加させてもらいました。
「医局」って言っても分かりにくいと思うのですが、まあ、人材バンクの様なものだと思ってもらうのが一番分かりやすいと思います。お医者さんって言ったって、医師免許を取ったらなんでもできるってもんではない訳で、単に医師免許を持ってるだけの若者をイッチョマエの医師に仕立て上げるには大変な時間と労力が必要となります。それをシステム化して育て上げる機能を持っているのが医局と言う所で、多くの場合は大学と一体化しています。
私は名古屋大学脳神経外科の臨床講師を長らく拝命してきたこともあって開業医となった今もなお医局の一員であり、お声をかけていただきました。もちろん二つ返事で出席です。
場所は名古屋観光ホテルでした。会場には往年の大先生である老紳士が数多いらっしゃって、大学卒業年次ごとに着席しますと現役の教授が若者…とまでは言いませんが中堅クラスの席次になっていました。東大京大とまでは行きませんが、そこは名古屋大学も旧七帝の一角、さすがの伝統を感じ母校を誇らしく思いました。
会としては、まあ、要するに大規模な食事会で、久しぶりに会う元上司や同僚と楽しくお話をさせて頂きました。脳神経外科という科は夜間休日の緊急も多いですし、患者さん生命のみならずご家族さまの人生に直結するような重症の疾患を取り扱うことが多いため、やり甲斐が大きい分ストレスも非常に大きい職業です。それだけに同じ道を歩む者同士、戦友のような連帯感があり、久しぶりに会う戦友たちと楽しい時間を過ごしました。
私の専門はもちろん脳神経外科ですが、脳神経外科にもいろいろな分野があります。そのうちの脊髄系の師匠が愛知医科大学の教授を勇退され、パーティーの主役でした。勇退されると言うことはそれなりのお歳な訳ですが、私が師事した頃とあまり変わっておらず、相変わらずカッコエエ外科医でした。代替わりで主任教授に就任される先生は脳卒中系の私の師匠(注1)、脊髄系の教授になられる先生は若き日より私の兄貴分であった先生です。現名古屋大学の教授は脳腫瘍系の私の師匠であり、こうしてみると私がいかに師に恵まれたかが分かり、とてもありがたく思っています。東京に恋い焦がれた私ですが、半生を振り返ってみれば名古屋大学を選んで正解だったと言えるでしょうね。幸せなことです。
脳卒中の師匠とはいつでも写真が撮れるのですが、他の先生とはなかなか写真を撮る機会がありません。せっかくの機会なのでお願いしてツーショット写真を撮ってもらいました。ちょっとしたタレントと写真撮るよりよっぽど嬉しいです(注2)。イェーイv(^^)v。
♪我進む 師もまた進む 永久(とこしえ)に 追いつけぬこそ 我が師なりぬれ
(大伴ヤキモチ)
(注1)2018/12/24付「なほ辛きなり」の項をご参照ください。
(注2)宮地教授は直の師匠なのでいつでも写真が撮れると思って油断してしまいましたm(_ _)m。
盛大な会でした。レジェンドと言うべき偉い先生もすっかり老紳士になられておいでで時の流れを感じました。
脊髄疾患の師匠・高安教授と(許可を得て掲載しています)。
脊髄センター教授になられる原先生と。若いころから私の兄貴分です(許可を得て掲載しています)。
名古屋大学医学部脳神経外科教授・若林先生と。(許可を得て掲載しています)。